身を削る断捨離と部屋の軽さ。
朝起きた時、部屋が軽くなったと感じた時があった。
もちろん部屋の重さなんか、計りようがないから、あくまでも感覚なんだけど。
なんだか、今までと部屋の重量感が違うと感じる。
現状は、部屋には物はあります。まだ、ミニマリストになるべくして奮闘中ですが、ベッドもソファーもテーブルもあります。
でも、部屋が軽くなったと感じる。
一般的なミニマリストとされる方達に比べたら、まだまだ物がたくさんある状態ですが、今私は身を削る断捨離段階にきている。
身を削るなんていうと大袈裟ですが、この表現には余談があって、話はそれますが、私は数年前から1日1食生活のファスティングをしていまして、断食道場で断食体験もあります。その時に、生命の限界ぎりぎりまで断食することを、身を削る断食と呼ばれていました。
それをもじって、物を限界まで断捨離することを、身を削る断捨離とパクリ表現してみただけなんだけど。
今、まさに身を削る断捨離を行なっています。
どういうことかというと、もう私の元には不要な物や使っていない物がほとんどない状態で、でも借金返済の為には何かを売らなければならない。
毎日使用しているものや、お気に入りの物であっても金目の物は売り捌く。
心がチクッと痛くなる時もある。
それでも、借金返済とミニマリストになることは、相性がいいなあとつくづく思う。
物が減らせて、借金も減る。
心がチクッとする時は、いい思い出がある物だ。
思い出までなかったことになるようで、辛い気分になったこともある。
それでも売った。センチメンタルな気分を振り払って借金返済を最優先。
思い出は記憶の中にあるから大丈夫だと言い聞かせて。
だいたい、チクッとする物は夫がらみの物だ。
夫からのプレゼントだったり、一緒に買い物をした時のエピソードだったり。
まだ離婚はしていないが、修復不能でヨリを戻すことはありえないが、それでもチクッとする。
いい思い出がつらい。
そんなこんなで、ぎりぎりのところまで断捨離(私の場合メルカリ出品)していると、冒頭の部屋が軽くなったような感覚がするようになった。
物が少なくなったという感じではなく、あくまでも軽くなった感じ。
物と一緒に執着のような、念みたいなものもなくなったのかな。