目指せミニマリスト夏枝!

過去の自分と向き合い、買い物依存の克服とシンプルライフへシフトチェンジする道のりブログ。

25年前にもあったキーワード、シンガポール・起業・会社の歯車。

f:id:minimalnatue:20190730204356j:plain



  1972年生まれの私は、地方の短大卒業した20歳の時に東京のとある会社に就職した。

しかし、半年でギブアップ!

時代は1992年、バブルも崩壊して就職氷河期と言われていた時にだ。

東京には未練があったので、なんとか東京で暮らせるようにと、アルバイトを始めた。

美術系の短大を卒業していたので、ある画廊にバイトが決まった。

画廊といっても、名画を扱っている老舗の画廊とか美術館的なところではなく、当時流行っていた、ラッセンヒロ・ヤマガタシルクスクリーンの販売だ。

何枚でも刷れるから、とにかく数を売らなければならない、バリバリの接客販売業だった。

もちろん、弱冠コミュ障ありの私には勤まるはずはなく、そこは2ヶ月で辞めてしまったが、印象深い事があり、25年経った今も覚えていることがある。

というか、25年経って、あの時聞いた事が今とつながっているように思う。

 

 

 

その画廊では、接客販売員として女の子が10名ぐらいいた。

当時私は20歳で一番若く、周りの女性はずいぶんと年上のように感じていたけど、実際はみんな20代で一番年上の人でも28歳だった。

そんななかに、社長とは別に男性が二人いて、その二人は絵の搬入やレイアウトや事務管理的な仕事をしていた。

そして、これから書く事は私が本人から直接聞いたことではなく、周りの女の子から伝え聞いた話だ。

 

その二人の内の一人の男子が、東大を卒業しており、就職せずにバイトで食いつないでいると。

聞くところによると、「就職して会社の歯車の一つになりたくない。両親が仕事の都合でシンガポールに住んでいるから、自分もシンガポールに行って起業する予定。」だと。

なんかこれ、すごく今っぽくないですか?

25年前の話なのに。

今、世の中で成功している男性って、だいたいシンガポール・起業・会社の歯車って言葉がキーワードになっていているように思う。

ただ、この話は25年前に伝え聞いただけで、もう本人の顔も名前すら覚えていない。そもそも私はこの男性と直接話もしたことがなかったと思う。

 

 

だいたい、自分の魂のレベルが違う人とは出会わないというし、その人だって出会ったといっても、通りすぎたとういうか、人生の一瞬をかすったといった程度のことだった。

それでもすごく印象に残った。

 

 

理由は単純明快で、東大卒業したら、どんな有名企業にでも就職出来るし、高級官僚にもなれるフリーパスをもっているのに、それを使わないという驚きだ。

今も25年前も、東大卒というのは、すごい肩書きだ。

それだけで、人生安泰を約束されているようなもの。

それを、会社の歯車が嫌だといって、よくわからん外国で事業を起こすなんて、無茶する人だと。

どこかに所属すれば、自動的になんでも上手くいくのに。

賢い人の考える事は解らん。

これが当時の私の感想で、この話を聞かせてくれた女の子達も皆同意見だった。

 

 

今でこそシンガポールといえば、世界の金融の中心だとか、若手企業家達が集まるところとか、ビジネス色が強い印象だけど、当時は口から水出してるシーライオンと、道端にゴミ捨てたら鞭打ちの刑に処せられるという、ようわからん国だったはず。

 

今思えば、一言でも二言でも話をするチャンスはあったかもだが、いかんせん人生観が違い過ぎて、決して人生で交差することがなかった人。

ほんと、かすった程度の出会い。

それでも、エピソードはずっと覚えていた。

人がのどから手が出るほど欲しいものを持っているのに、自分のしたい事の為にはあっさり捨ててしまえる人。

今どうしているんだろうか?

成功して、有名人にでもなってるかもだ。

しかし、顔も名前すら覚えていない。

このご時世なら、名前がわかれば色々ネットで調べられるけど、なにもわからない。

時代の先端を行く人だったんだな。

今の私なら、気持ちわかるよ。

25年もかかってやっと心境がわかる。

 

当時のその彼は、おそらく23か24歳くらい。

そんなに若くして、自分のしたい事だけにフォーカスした人生を送ろうと、決断できるってどうなってるのよ。

そうゆう人には、何が起きてるの?

って、いつも思う。

 

なにかの拍子に、もう一度再会したい人の一人。

あれから、どうなったの?って聞きたい。